本日は、「台湾が親日国と呼ばれる背景」についてお話しさせていただきます。
台湾は日本との友好関係で知られており、実際に現地を訪れると英語よりも日本語の方が通じやすい場面に遭遇することも少なくありません。
もちろん、台湾が親日国である理由は多岐にわたりますので、今回のお話はその一端に過ぎません。ご了承ください。
台湾の親日感情の源泉
参考文献
今回の記事作成にあたり、以下の文献を参考にしました。
1. 『池上彰の世界の見方 中国・香港・台湾』(著:池上彰)
2. 『台湾物語 ──「麗しの島」の過去・現在・未来』(著:新井一二三)
台湾に馴染みのない方には興味を喚起し、台湾ファンの方にはさらなる魅力を伝える一冊となっています。
両書とも電子書籍で読めるので、ぜひチェックしてみてください。
日本と台湾、中国と台湾の関係性
では、台湾が親日感情を抱く背景について詳しく見ていきましょう。
日本統治時代の功績
第二次世界大戦中、台湾は日本の統治下にありました。
日清戦争での勝利後、日本は遼東半島と台湾を獲得し、台湾を植民地化しました。
日本にとって台湾は初の植民地であり、その統治を成功させることで、アジアの列強国と肩を並べる機会だと考えていました。
日本政府は優秀な人材を台湾に派遣し、日本総督府を設置。日本軍は台湾人の日本化を図り、徹底した日本語教育を実施しました。
その結果、それまで読み書きができなかった人々の教育水準が向上し、世界の様々な情報にアクセスできるようになりました。
さらに、日本総督府は台北帝国大学の設立や、ダム・水路の建設、水道設備の整備など、教育とインフラの充実に力を入れました。
しかし、日本の敗戦によりサンフランシスコ講和条約で全ての領土権を放棄し、台湾の利権を失うことになりました。
中国による統治
その後、中国本土から国民軍が台湾に進駐し、統治を開始しました。
しかし、その統治はあまりにも劣悪なものでした。
日本統治時代、台湾に派遣された日本の役人は比較的清廉潔白でしたが、中国軍やその役人たちは窃盗や横領を平然と行うなど、モラルの欠如が目立ちました。
また、中国と台湾の発展レベルの差も、台湾人を失望させる要因となりました。
日本統治下で台湾はアジア屈指の発展を遂げており、デパートやエレベーターなどの近代的な設備が整っていました。
一方、中国国民軍の兵士たちは、こうした近代的な設備に驚きを隠せませんでした。
エレベーターを一日中眺める兵士や、自転車の乗り方が分からず転倒する兵士の姿は、台湾人の目には滑稽に映ったようです。
水道設備についても同様で、蛇口をひねるだけで水が出る仕組みに感激した中国人兵士が、水道管のない家に蛇口を取り付けて水が出ないと怒る、といったエピソードも残っています。
日本の教育のおかげで、台湾人は様々な分野で大きく発展していました。
読み書きができる台湾人に対し、多くの中国国民軍兵士は文盲でした。
こうした理由から、中国国民軍兵士は台湾人の尊敬を得られない存在となってしまいました。
二・二八事件と日本語の役割
その後、中国人警察官による台湾人射殺事件をきっかけに、二・二八事件という抵抗運動が勃発し、大規模な虐殺が起こってしまいます。
台湾人と中国人は同じ中華民族であり、外見上の区別が難しかったため、台湾人は抵抗運動時に敵味方を見分けるユニークな方法を採用しました。
それは、"日本語で呼びかける"ことでした。
前述の通り、台湾人は日本の教育によって日本語を話すことができました。
日本語が理解できれば台湾人、つまり「仲間」だと判断できたのです。
この経験が、日本語に対する愛着を深める一因となったと考えられます。
もちろん、日本統治時代が全て良いものだったわけではありません。
日本軍による台湾人への不当な扱いもあったことは事実です。
しかし、その後の中国国民党による統治があまりにも酷かったため、相対的に日本統治時代が良かったという認識につながったのです。
日本の影響が残る台湾の地名
台湾には、高雄や松山、板橋、岡山、汐留、吹上など、日本にも存在する地名が多く残っています。
これらは、日本統治時代に元々の地名を日本風に変更した結果です。
例えば、「打狗(タカオ)」という地名を、発音が近い京都の高雄山から「高雄」と名付けたケースがあります。
結びに
このように、現代の台湾には日本統治時代の歴史が脈々と受け継がれています。
歴史の痕跡を探る旅も楽しいですよ。